
略歴
1959年4月9日生まれ。
萩市(旧田万川町出身)
小学4年生の時父が胃がんで亡くなった折り、負けてはいけまいと泣かなかったことで、以後、中学、高校と学業に意味を見出せなくなった。勉学に興味がなくなった。
高校1年の時海で溺れていた子供を助けたことで警察から表彰を受けたことで、学校で善行表彰を受けることになり退学に至らなかった。
就職後は、好きな彼女が出来北海道までの旅をした。
しかし、一緒になることは出来なかった。
このことで、憂さ晴らしにと酒を友達と飲み、その帰り船着き場コンクリ-ト支柱2本を折って車ごと海中に沈んだ。
奇跡的に車の中から脱出できた。
車大破により職場までは汽車通勤となった。(職場は島根県益田市の片山スポ-ツ店)
その折、最初の妻と汽車の中で出会い、付き合いが始まり親からの結婚条件の公務員となり21歳で結婚した。
子供は4人授かった。
孫は10人いる。
昭和53年9月に山口県庁に入庁。
萩土木建築事務所の配属となった。
以後44年間、同職場にて勤務。苦情対応、災害対応、事故対応など多岐にわたる業務をさせて頂いた。
令和7年3月で退職。
28歳の時、中国砂漠化開発ボランテイアで鳥取大学名誉教授の遠山先生と同行させていただいた。
以後、ボランテイアでバングラディシュ、タイ、韓国などユニセフ活動や文化交流も行かせて頂いた。
同じく28歳の時、東京都レクリエ-ション協会主催の講座に参加し、レクの魅力に引き込まれ勉学に励んだ。
このことにより、レクリエ-ション活動がスタ-トとした。
レクリエ-ションアカデミイの研修では北海道、三重、東京、福岡と学びに伺った。
病では32歳で椎間板ヘルニア手術、35歳で両目正常眼圧緑内障、42歳鼠径部ヘルニア手術、胆のう摘出、顎嚢胞、大腸ポリ-プ、55歳で鬱、60歳で狭心症と病気を経験した。
特に鬱の時は毎日が死にたい日々であった。
笑いヨガとの出会い
51歳の最初の妻が精神的病気になった。
このままでは、家庭が潰れると思っていた時、笑いヨガがNHKのテレビで取り上げられていた。
作り笑いと本物の笑いは脳は区別しない。
この言葉がきっかけで笑いヨガの講座に参加した。
その後、インドでこの笑いヨガを提唱してくださったマダンカタリア先生のもとで笑いヨガテイチャ-の取得講座に参加。
現在に至る。
この笑いヨガ&音楽健康セッションの普及活動
この笑いヨガ&音楽健康セッションの普及活動により、今一度自分の人生に花を咲かせて頂きたいと思います。
笑うと言うのは花が咲くという意味があります。
子供から社会人そして高齢者までが生きがいを持って元気で過ごして頂きたいと節に思います。
口コミ
参加された皆様からは元気、勇気が出てきた、前向きになれた。
また、落ち込みからの回復が早くなったなど感想を頂いています。
活動場所
主な活動場所は萩市、山口県内、また他県などご要望があればどこでも伺います。
笑いヨガの実績
今まで何人の皆様に笑いヨガを伝えてきたか。
14年間で1万人くらいになります。
オカリナの実績
オカリナには何人の方が参加されていますか。レッスンを受けている方は
毎月1回5名の方がレッスンを受けておられます。
会場はレクリエ-ションサポ-トセンタ-
私の場合はオンラインでも受けています。
オカリナコンサ―ト開催
年3回です。
今年で5年目となります。
プロの方によるオカリナコンサ―トです。
集客については、昨年度は3会場で180名です。
今年2025年は3会場で110名を見込んでいます。